百貨店、写真などはじまるフランスの19世紀後半


19世紀のパリは、近代都市に生まれ変わり、裕福な市民階級の時代がはじまりました。
市民の文化といえば、百貨店もこの時代に生まれました。
ボンマルシェ百貨店都市化が進み人口も増加したパリで、世界最初で最大のデパート
でした。さらにはプランタンなどの高級デパートがあいついで誕生しました。
1887年のボン・マルシェ百貨店
 ボン・マルシェ百貨店における派手なショーウィンドウと大安売りの季節物で客を呼び込む手法は、パリ万博を参考にしたと言われていますが、松原建彦氏によりますと、フランスのデ パートの前身となったマガザン・ド・ヌヴォテは、店内を自由に廻覧したり、本格的な薄利多売制度、展示即売会やバーゲン・セー ル、デパートが展開する多くの要素 ― 低価格、定価表示、 現金販売、入店自由、返品・返金制度、商品・見本の国内無料発送、や 店構えや店内の広さ・装飾、看板・広告・ショーウィンドウなどの活用と いった販売方法・技術 ― をすでに具えていたようです 

 改装の際に参考にしたといわれるパリオペラ座。ガルニエより1861~1874の期間をかけてつくられた盛大なオペラのための建築物でもありますが、それ以上に、華やかな市民の社交場としての建築でもありました。。周囲の視線をあびながら大階段を上ってゆく市民達こそが主役なのです。
  
GIRAUD Patrick fr:Utilisateur:Calips
 すでに近代の写真は発明されていて、その巨匠ナダールのスタジオで1874年第一回印象派展が開かれました。神話画などの古いアカデミックな絵画で埋め尽くされていた国営のサロンで落選したモネなどの新しい画家達の展覧会が開かれました。写真がすでに生まれた時代に絵画はどうあるべきなのか。スタジオでこうした展覧会が開かれたことは意義深かったのです。印象派は、新興市民階級のために、対象そのものでではなく、色彩や形、コントラストに対する自分の反応を描きました。


ナダールの写真スタジオ、
1860年にキャプシーヌ大通りに移転してからのもの。多くの有名人が肖像撮影に訪れたほか、
第1回印象派展もここで行われた


 

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