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願いを実現する和歌コトバ

 古代の素敵な風習などについて書いてゆきたいと思います。   願いをかなえる和歌コトバ  世の中はまさに、神様ブームの模様です  実は、コトバには魂が宿る、  古代のひとびとはそう考えました。    山にも、森にも、木々にも、  小川にも、岩にも、石にも  神さまが宿っているように  コトバにも神が宿っていると考えたのです。  そのコトバを発することで、  物事が生み出されると信じられてきました。    事象→コトバ  ではなく  コトバ→事象  なのでした。  その際、こうなってほしいと  望むのではなく、既に  実現したこととして  感謝して祝うという  予祝 という願い方に特徴があります。 「〇〇になりますよう」ではなく、 「実現しました、ありがとう」というように  親しく尊敬を持って土地の神様に呼びかけ、  願いが実現するよう、祈りをささげたのです。   大和には 群山あれど   (大和の国には多くの山々があるけれど)  とりよろふ 天の香具山  (とくに美しい香具山)  のぼりたち国見をすれば  (その頂に登って見渡せば)  国原は 煙立ち立つ    (里には家のかまどの煙が盛んに立ち上り)  海原は 鴨立ち立つ       (海にはかもめが盛んに飛び立っている) うまし国そ 蜻蛉島 大和の国は  (ほんとうにうるわしの国だよ。大和の国は)    このように実際の風景というより、  日本(大和)の国は  こうあって繁栄してほしい、という  理想の姿が歌われているのです。 ほんとうは香具山から海はみえませんが、 より豊かな暮らしをイメージした 家のかまどの煙、海や川の産物、田畑の豊作 そんな豊かな国への願いをこめて。  そうして和歌コトバにすることで 五穀豊穣があらかじめ神様に 約束されたこと意味しているのです。 既に実現したことに感謝するかのように祝う  それが「予祝」です。  古代から、このような形の歌を皆で歌うことで 神に五穀豊穣を祈ってきたのでしょう。  「うまし国、蜻蛉島(あきずしま)」  という大和の国のネーミングですが、 海と陸とからなる日本全体の映像を 表現するような視覚的な美しいコトバが並んでいます。

月に願う③

十日夜(とうかんや)、十三夜、そして十五夜 現代まで続く日本の風習の代表的なものに お月見があります。 最も美しい月夜といわれる 十五夜の満月を鑑賞する行事ですが、 特に旧暦八月十五日の満月のこと。 中秋の名月はそこから来た名前です。 旧暦では、一月から十二月まで 初春、仲春、晩春、初夏、仲夏、晩夏、 初秋、仲秋、晩秋、初冬、仲冬、晩冬 と季節を分けておりました。今の暦で ひと月半位ずれるので、「十五夜」、 中秋の名月は九月から十月になります。 この頃収穫されるお芋をお供えすることから 「芋名月」とも言うそうです。 そして、十五夜の次に美しいとされるのが、 翌月の十三日目の月、十三夜です。 そんなことことから、十三夜の別名は「のちの月」 お供えから「栗名月」とか「豆名月」ともいわれます。 さらに翌月の十日の月の夜、十日夜(とうかんや)には、 収穫祭が行なわれ、稲の収穫を祝ってお餅をついたり、 東日本を中心に様々な行事が各地で行なわれています。 この十五夜、十三夜、十日夜の 三つのお月見をすると大変縁起が良いそうです。 月読(つくよみ)の  光に来ませ あしひきの 山きへなりて 遠からなくに お月さまの光でいらっしゃいませ。 山が隔てて遠いというわけでもありませんに さて、三日月が夕方から宵にかけてすぐ沈むのと 逆に、だんだん月の出はおそくなります。 満月の十五夜の後の呼び名は特徴的です。   十六夜(いざよい)  十七夜(立待月)  十八夜(居待月)  十九夜(寝待月)  二十夜(更待月—ふけまちづき) と続きます。最後は寝て待つ程おそい時間に現れる月です。

月に願う②

眉月(三日月)弓張月  月立ちて ただ三日月の 眉根掻き 日長く恋ひし 君に逢へるかも  つきたちて ただみかづきの まよねかき けながくこひし きみにあへるかも  月が変わったわ この三日月のように 細い眉を掻きながら、 長い間恋しく思っていたあなたに、 こうしてとうとう会えたわ 大伴坂上郎女の和歌です。 眉がかゆいのは、相手に逢える前兆という 当時の恋のジンクスを含んだ和歌です。  また、先進の中国の流行をまねて、 女性は細く眉を描くのが当時の最先端でした。 三日月は月でもありますが、 美女の細い引き眉のたとえでもありました。 それに対する大伴家持(おおとものやかもち)の返歌は 振り放けて 三日月見れば 一目見し 人の眉引き 思ほゆるかも ふりさけて みかづきみれば ひとめみし ひとのまよびき おもほゆるかも 遠く空を仰いで三日月を見ると ほんの一目見た、あなたの引き眉が 思い出されます 16才でこの和歌を詠んだというのは ちょっとマセてますかね。 半月:弓張月(ゆみはりづき)、白真弓(しらまゆみ) さて万葉集にはいろいろな月の呼び名が出てきます。 七日目の月、半月のことは弓張月(ゆみはりづき) ともいいますし、白真弓(しらまゆみ)ともいいます。 天の原 振りさけ見れば、白真弓 張りて懸けたり、夜道はよけ あまのはら ふりさけみれば しらまゆみ はりてかけたり よみちはよけむ 大空を見上げてみると、 白い真弓を張って空にかけてあるような 月が照っているから 今宵の道は良いでしょう。

月に願う

月には不思議な力があります。 太古の時代から、人類は月に思いを寄せてきました。 現在でも、新月に願いをかけるなど、 人々が月に特別の思いを持っていることに違いはありません。 古代万葉人とそんな月とのさまざまな関係は、 現代の私たちにも影響を残しています。 新月に願いを 古代から月の満ち欠けをベースにした 生活が長く続いていましたので、 現代にもその影響は残っています。 たとえば、日本では現代でも、 毎月初めの1日に神に感謝を捧げる 風習が残っています。 「ついたちまいり」として、 神社に参拝し神に感謝を捧げる風習です。 昔から、毎月1日と15日には神棚へ 榊を挙げたり、お水やお神酒、榊をお供えして、 1か月無事に過ごせたことの感謝と 新しい月の無病息災や家内安全などを祈願する 方もいらっしゃるでしょう。 新月のときには、犯罪が増えたり、 鬱になったりしやすいという 統計結果があるそうです。 逆に、人間の自然の「脳力」が高まるという意味合いもあり、 直感が鋭くなって新しいアイデアが閃いたり、 振り返ったりするにも良い時期でもあるようです。 新月や満月には願いごとを紙に書くと望みがかないやすい といわれるのは、そんな月の心身への影響が 私たちにも及んでいることを 人類の知恵として知っているからなのでしょう。 月立ち( 一日月、 新月) この新月ですが、万葉集では、「月立ち」として歌われています。 あらたまの 月立つまでに来まさねば 夢にし見つつ 思ひぞ我がせし あらたまの つきたつまでに きまさねば いめにしみつつ おもひぞわがせし あらたまの月が改まるまでに あなたがおいでにならなかったので、 夢に見つつけながら、 もの思いをしていたことですわ。 古代の夜は大変に暗かったのでしょう。 今よりも月明かりはずっと明るく感じたでしょう。 実際に人々は月の満ち欠けや月の位置、 運行によって月日や時間を数えていました。 方位も月の出が目安でした。

和歌に見る恋のジンクス③

和歌に見る恋のジンクスさらに続きます。 赤い糸ならぬ、赤い紐で結ばれた二人 「赤い糸で結ばれた二人」とは、 今もわたしたちがごく普通に使う表現ですが、 古代の男女の間では、赤い紐に魂を結ぶ という風習がありました。  別れに際し、赤い紐を互いに固く結び、 再会までは解かないという、美しい約束でした。 でも、風呂というか水浴びするときなども、 そのまま入ったのかどうか、定かではないのですが。 旅の夜の 久しくなれば さ丹つらふ 紐解き放けず 恋ふるこのころ  旅に出て、一人の夜を重ねることも長くなった。 赤い紐を解くこともない、君が恋しいなあ。 超訳ですが、こんな感じです。 吾妹子し 吾を偲ふらし 草枕 旅のまろ寝に 下紐解けぬ  いとしいあの子が僕のことをを思っているらしい。  草を枕に着衣の紐も解かず寝たはずなのに、 紐が自然にほどけたよ。 恋人や離れた妻が強く思っていると、自然に紐が解けると 考えられていました。下紐が解けるのは、恋人が来訪する予兆とも 考えられました。なんかアヤシイですね。 いやいや、衣服の紐が自然にほどけるのも、 また相手が自分を思ってくれている印という考えは、 唐の伝奇小説『遊仙窟』に由来するものでした。 こんなジンクスも恋の問答に使われているのですね。

和歌に見る恋のジンクス②

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今日も万葉人が信じていた恋のジンクスのご紹介です。 夢はテレパシー 今日では、夢は、脳の働きと考えられていますが、 古代、万葉の人々は、夢は自分の中からではなく テレパシーのように外から来るものと考えていたようです。 相思はずは 君にはあるらし ぬばたまの 夢にも見えず  祈誓(うけひ)て寝れど  あなたは私のことを思ってはいないのね。 神に誓いをたてて寝ても夢にあらわれないなんて。 吾妹子が いかに思へか ぬばたまの 一夜も落ちず 夢にし身ゆる 彼女がどんなに思ってくれているからなのかなあ。 真っ暗な闇の夜でも毎晩かかすことなく、夢に現れてくるなんて。 祈誓(うけい)というのは、 神に誓いをたてて寝ることで、 夢の中で答えがえられるというものですが、 うまくいかないこともあったわけです。 袖を折り返して寝ると夢で思う人に逢える 袖を折り返して寝ると夢で思う人に逢える、 というおまじないもありました。 吾妹子に 恋ひてすべなみ 白栲の 袖返ししは 夢に見えきや  いとしいあの子がが恋しくてたまらないので、 袖口をおりかえして寝たけれども、あの子の夢に僕は現れただろうか。 袖を折り返して寝ると、 恋する相手が夢にあらわれる と信じられていました。 自分が見た夢は相手も同時に見るもの と考えられていたのです。  

和歌に見る恋のジンクス①

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万葉人が信じていた、ユニークな恋のジンクスをご紹介しましょう。 何だか眉がむずがゆい、くしゃみがでそう→恋人に逢える兆候 現代人なら風邪や花粉症のせいだと思ってしまうでしょうが、 万葉人は恋人に逢える兆候だと思っていました。 (男)  眉根痒き 鼻ひ紐解け 待てりやも いつも見むかと 恋ひ来し我を 眉をかき、くしゃみをして、紐をほどいて待っていてくれたの? 君のことばかり思っている僕のことを。 訳すれば  こんな感じです。それに対して、女性の返事は (女) 今日なれば 鼻ひ鼻ひし 眉痒み 思ひしことは 君にしありけり たしかに今日はクシャミも出るし、眉も痒くてたまらなかったわ、 それはあなたのせいだったのね。 いや、単なる花粉症でしょう?なんて 言ってはいけません。当時の人々は シリアスにそう信じていたのですから。 眉を掻いて、くしゃみをして 君のことのことばかり思っている僕のことを。 訳すれば  こんな感じです。 くしゃみをするのは人が自分を思う兆し、 というジンクスに基づき歌った和歌をもう一首。 (男) うちはなひ 鼻をぞひつる 剣大刀 身に添う妹し 思ひけらしも くしゃんと、くしゃみをした。腰にさした剣の太刀のように いつも寄り添う妻が、今僕のことを思っているらしいよ。 相手が自分のことを思ってくれているのか、 今日はきてくれるのか、恋は不安で、つらくて、 切なくて。そんな気持ちは今も昔も変わらないですね。 そんな和歌がですが、結構楽しく読めてしまいます。