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万葉カップル恋のいろいろ②

恋のいろいろ:大伴坂上郎女の場合 大伴坂上郎女の人生、特に前半生はドラマチックでした。 10代で結婚しましたが、お相手の例の穂積皇子。 モテる穂積親王でしたが、すでに40歳をこえて さすがに歳を感じながら、大伴坂上郎女を寵愛します。 そんな和歌が宴会の余興で歌ったものとして残されています。 家にありし櫃に鍵さし おさめてし 恋の奴のつかみかかりて(穂積皇子) 3816いへにありし ひつにかぎさし おさめてし こいのやっこの つかみかかりて 「家にある櫃に鍵をかけて ちゃんとしまいこんでおいたはずなのに、 あの恋の奴めが、しつこくまたまたつかみかかりおって…。」 その後、坂上郎女は 年老いた異母兄の大伴駿河麻呂に嫁ぎます。 駿河麻呂との間に生まれたふたりの娘、 坂上大嬢と二嬢の 娘二人は 坂上の屋敷で育ちました。 父の田村の家には母の違う姉妹が暮らしていて、 異母姉妹が会う機会は少なかったのですが、 暖かな交流は続いたようです。大 伴駿河麻呂が亡くなった後も坂上郎女は 多くの男たちと愛の和歌のやりとりをしました。 万葉集には、そんな郎女が折々に歌った恋の歌があります。 われのみぞ 君には恋ふる わが背子が 恋ふとふことは 言の慰ぞ  656   「 恋をしているのは私だけ。あなたは言葉だけでしょ。」 恋ひ恋ひて 遭へる時だに 愛しき 言い尽くしてよ 長くと思はば こひこひて あえるどきだに うつくしき ことつくしてよ ながくとおもはば 「好きで好きでやっと会えたのに、もっとやさしい言葉をいっぱいいってよ。 末永くつき合っていくのなら。」 黒髪に 白髪交じり 老ゆるまで かかる恋には いまだあはなくに くろかみに しらかみまじり おゆるまで かかるこいには いまだあわなくに 「私の美しかった黒髪も白髪が交じるようになりました。  そんな年齢になって、こんな恋に出会うなんて。  若いころにはなかったわ」 次の歌は大伴宿禰稲公(おほとものすくねいなきみ)が 田村大嬢(たむらのをおほをとめ)に贈った恋歌ですが、 坂上郎女が代作しています。 相見(あひみ)ずは 恋ひざらましを 妹(いも)を見て

万葉カップル恋のいろいろ①

万葉カップルの恋のやりとりは、 情熱的で、ウイットに富んで ユーモアにあふれ、 時にはドスがきいて… まずは、若き日の 大伴家持と紀女郎(きのいらつめ)の 恋の駆け引きをご紹介しましょう。 紀女郎は、たわむれに家持を「しもべ」という 意味の「戯奴(わけ)」と呼んでいます。 家持もその芝居に楽しくのっかっています。 戯奴(わけ)がため 我が手も須磨に 春の野に 抜ける茅花を をして肥えませ 1460「家持君のために 一生懸命引き抜いて来た茅花よ。 どうぞ召し上がって 太って(もっと健康になって)くださいな。」(紀女郎) 我が君に 戯奴は肥ふらし 賜り(たばり)足る 茅花を食めど  いら痩せに痩す 1461「我がご主人に 私めが恋焦がれているからでしょうか。 いただいた茅花を食べましたが太るどころかやせる一方です。」(大伴家持) 太る痩せるは現代のように古代も人々の関心のある話題のようですが、 当時は痩せている方が問題だったようです。 三十代の紀女郎と二十代の若き大伴家持、 かなり年の差のあるカップルでした。しかも 女性の方が十歳も年上ということを気にしていたようでもあります。

彦星はいかにして天の川を渡るか

2020:天の川 夜舟を漕ぎて 明けぬとも 逢はむと思ふ夜 袖交へずあらむ 柿本人麻呂歌集より あまのがは よふねをこぎて あけぬとも あはむとおもふよ そでかへずあらむ    天の川に、舟を漕いでいる僕。たとえ夜が明けてしまったとしても、 あなたに逢おうと思っているこの夜、どうして一緒に一夜を過ごさずにいられるだろう。  万葉集には七夕や天の川を歌った歌が九十八首もおさめられています。 一年にたった一度のこの七夕の夜、 日本の七夕伝説では、彦星の方が天の川を渡って 織女のもとにやって来るというのですが…。 天の川を渡る方法は、 舟を使うか、 橋を渡るか、 川を歩いて渡るかの三通り。 それに、七夕歌には、一つの見事なシナリオでできあがっている歌の群もあります。 天の川 去年の渡りで うつろへば 川瀬を踏むに 夜ぞ更けにける 2018 柿本人麻呂歌集より あまのがは こぞのわたりで うつろへば かはせをふむに よぞふけにける 「あの天の川がね、去年は歩いて渡る浅瀬があったのに、 その浅瀬が移ってしまっていてね。川の水の浅いところを 探してしていたら、夜がこんなに深くなってしまったのですよ」  本当に、水の浅いところを探すのに時間をとられ、 逢うべき時を失い、残念がっている哀れな彦星とも解せますが、 もう待ち疲れた織女に、遅くやってきてしまい、 い訳をしている彦星とも解せます。 男性が女性のもとに通うのは、 午後8時くらいから夜中までとされていて 、夜中を過ぎると、夜更けとなり、 もう通ってはいけないというタブーがありました。 いや、実際はそんなに遅くなったのではないかもしれません。 ほんのちょっと遅れただけ。すこしうそをついて 、ただただ大げさに言っているだけなのかもしれません。 一年にたった一度の逢瀬なのですから。 「遅いわねえ」とすねて見せている、待ちに待っていた織女の歌はこうです。 古ゆ 上げてし機も 顧みず 天の川津に 年ぞ経にける いにしへゆ あげてしはたもかへりみず あまのかわづに としぞへにける 柿本人麻呂歌集より 「昔からずっと機にかけておいた織物もす