一流の才能がジャンルを超えて集結 ドビュッシー/ マラルメ/ニジンスキー2


 さて、『牧神の午後』が、ニジンスキーによってバレエ化されたのはさらに20年以上も後のことですニジンスキーは若くしてヨーロッパ各地の大劇場において大成功をおさめました。
 その役柄は人間以外、または人間以下とみなされたものを踊ることで、それまでの王子のような役柄とは全く異なっておりました。
 たとえば妖精(『薔薇の精』)、人形(『ペトルーシュカ』)、神(『青髯』)、牧神(『牧神の午後』)、奴隷(『クレオパトラ』)、(シェラザラード))など、醜いもの、あるいは滑稽とされていた役柄です。
 ニジンスキーは、この作品に取り組むのに際し、古代ギリシアからインスピレーションを得たました。バレエの仕種や姿勢は、紀元前5世紀後半から4世紀にかけての古代の壷に描かれたジェスチャーを写したもので、こうして、ニジンスキーバレエの基礎文法が作り上られたのです。後年イザドラダンカンが行なう技法でもあります。




「牧神の午後への前奏曲より」で踊るニジンスキー

 ニジンスキーは踊り手たちに古典バレエの機械的な動作はすべて忘れるように要求。古典的なバレエのごとく、踊りの型を使った移動などは見られることなく、踊り手達は、始終裸足で歩き、突然停止して化石のように動かなくなってしまうような踊りで、ニンフたちは、上半身は正面を向き、顔は横向き、腕を肩の方に折り曲げ、手の平は観客の方を向くなど様式化されているるのです。

 この作品でドビュッシーが音楽の世界でジャス和声に大きな影響を与えたように、二ジンスキーは、モダンダンスのはじまりにつながります。


 レオン・バクストの考えたコスチュームも素晴らしく、2本の角と短い尻尾、身体にはおおきな黒い斑、大きく誇張された耳、葡萄の房のついた腰紐が腰に巻かれた牧神の姿でニジンスキーは踊っていますが、ファッションの分野でも現代の源となっています。

 レオン・バクストは、ロシアの画家、挿絵画家、舞台美術家、衣裳デザイナーですが、ディアギレフが主宰したバレエ・リュスで、『火の鳥』、『牧神の午後』、
『ダフニスとクロエ』ほか舞台美術を担当。その才能を遺憾なく発揮していると同時に、モダンデザインやファッションの基礎をつくりました。



 このときのプロデューサーであるデイアギレフは、バレエ・リュスを率い、ストラビンスキーの「春の祭典」など続けざまに素晴らしいバレエ作品を生みますが、この際に、
ココ・シャネルなども参加しています。

 1912年5月末の公開通し稽古および初演には、文壇、政界、音楽会の著名人が集まったが、公演は沈黙と呆然自失のなかに終わり、スキャンダルが爆発、『ル・フィガロ』は非難、さらに警察の強制によって、バレエの終幕にあるエロティックな暗示が削られるという事件が起きたそうです。しかし、こうした騒動はむしろ上演の失敗を一夜で勝利に変えたました。批評家が何と言おうが、反骨精神旺盛なパリの観客たちが熱狂的にニジンスキーを受け入れたのです。このようにパリの市民階級の人々が文化芸術を育てたのですね。



 ピカソも参加していました。パリのモンマルトルに1904年頃からアトリエを構えていたピカソの1907年にパリで完成された油彩画「アヴィニョンの娘たち(アビニヨンの娘たち) Les Demoiselles d'Avignon」は、ばら色の時代の明るい雰囲気を受け継ぎつつ、伝統的な西洋画のセオリーを否定し後にキュビズムとして発展していく原点的な作品となりました。



コメント

このブログの人気の投稿

20世紀のアメリカ文化は広まりやすかった1

19世紀後半にできた現在のパリの街なみ

シェイクスピアの『十二夜』と音楽から1