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永遠の子どもと永遠でない子ども ピーターパンとアリス

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『ピーターパン』(ジェームス・バリ)は、 『鏡の国のアリス』(ルイス・キャロル)のアリスと、 永遠の子どもと永遠でない子どもという違いがあります。  『鏡の国のアリス』ストーリーはこんなふうです。  チェスの国において、鏡の世界に入り込むとすべてが あべこべに。アリスが成長して、自分から離れてゆくことで、別れが来る。永遠の少女ではなくなっている。登場 キャラクターは、『鏡の国のアリス』では、「マザー・グース」からとられている。  『タマゴはだんだん大きくなるばかり。おまけにだんだん人間めいてきてね。ほんの二、三ヤードのところまでくると、目鼻や口のあるのがわかった。そしてもっと近づいてみると、なんと、それはハンプティ・ダンプティだったんだ。』     ルイス・キャロルはオクスフォード大学の数学の研究者。チェシャー州出身で学寮長とも親しい。学寮長の娘アリスたちと川遊びに行く。船の上でお話をしました。 もともと、ルイス・キャロルはお話を考えるのが好きでしたが。 吃音でコミュニケーションが難しかった。そんな中、アリスとのやりとり手書きが1865年に、出版されることになりました。 テニエルが描いたブロンドのアリス(『不思議の国のアリス』) 『不思議の国のアリス』 はといえば、あらすじは、 チョッキを着たうさぎとうさぎ穴に 落ちたアリスが、大きくなったり小さくなったりして困るが、白うさぎや水キセルをすう芋むしに出会ったりという怖くもある経験をしながら、大人になってゆくのです。そういった意味で、永遠のことどもではなくて、大人になるための通過儀礼でもあります その不思議の国のアリスのうさぎは、時間を急ぐのです。この当時、ビクトリア朝時代は、産業革命の影響などもあって、経済的に繁栄するのですが、労働者達は時間におわれて追い立てられるように過酷な労働を強いられます。子どももまた、労働者でした。 木原   貴子( 名古屋女子大学)氏によると、 フィリップ・アリエス (Philippe Ariès) によると、西洋社会では   中世までは子どもは「小さな大人」でしかなかったのです。   19 世紀になると グリム兄弟や アンデルセン が活躍するようになり、 子どもの本が次々に出版されうりょうになるのです

19世紀後半にできた現在のパリの街なみ

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19世紀になると、農村を追われた人々がパリに貧民が流れ込み、 パリは人口が増え、たいへん不衛生な状態になりました。 第2帝政期といわれた、ナポレオン3世の時代、 知事のオスマンはパリの大都市改造を行ないます。 凱旋門のあるエトワール広場と12本の通り エッフェル塔 シャンゼリゼ通り これは現在の原型でもあります。 凱旋門のある円形のエトワール広場からは、放射状に12本の道路が伸びています。 凱旋門の展望台から360度見渡すと、完璧な直線で幅広い街路 が広がっています 。 ここもオスマンの都市計画によって整備された広場で, 周辺の建物の高さはピッタリそろっており、 屋根は平面状に果てしなく広がっています。 建物の幅、色などの建物に対するこのような細かな規制が、パリに秩序を与え、統一感のある街並みを実現させています。                    ジョルジュ・オスマンのパリ改造による披露直線的な大通り                  。 フランスの19世紀後半は、裕福な市民たちの時代です。 マネ   の作品「テュイルリー公園の音楽会」   1862  をみてみましょう。 これは集団肖像画というもので、裕福な市民たちは、このようにして 自分たちを描いていました。   テュイルリーの音楽会 Music in the Tuileries , 1862 当時、パリの大改造が行なわれたのは万博があったからです。 パリでは、 1 855 年、 1867 年、 1878 年、 1889 年、 1900 年、 1937 年 ,6 度の万国博覧会が開かれました。ちなみに第1回の万博はロンドンです 大英帝国の首都でしたが、すぐにパリ開催が 1855 年に実現。約11年ごとにパリで万博は開催され、都市の繁栄とともに華やかな祭典が催され、世界の観光客を集めました。 特 889 年の万博で、高い水準の独創的鉄骨建築としてエッフェル塔が建てられました。 エッフェル塔(1889年)   当初は、モーパッサン初め、多くの文化人の反対にもあいましたが 、 20 世紀に入るとその美しさを認められ、徐々に芸術家たちから賞賛されるようになり、現

マザーグーズとなぞなぞ歌

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マザーグーズとなぞなぞ歌 マザーグースとは、イギリスやアメリカを中心に親しまれている、英語の伝承童謡で, いろいろな映画や物語などに引用されています。実は 「なぞなぞ唄」、「子守唄」、「遊戯唄」、「早口唄」、「物語性のある唄」、「積み上げ唄」、「暗記歌」など様々な種類があります。内容はちょっと怖いものが多いのですが。 London Bridge  ロンドン橋 ロンドン橋 落ちた 落ちた 落ちた ロンドン橋 落ちた マイ・フェア・レディ London Bridge is broken down, Broken down, broken down, London Bridge is broken down, My fair lady 『案外、知らずに歌ってた童謡の謎』 合田道人/著等から。 歌詞には、「金と銀の橋では盗まれるから見張り番を置こう」という箇所があり、この「見張り番」が橋を造るときの人柱 のことともいわれています。 Ring-a-Ring-o' Roses Ring-a-Ring-o' Roses, A pocket full of posies, Atishoo! Atishoo! We all fall down. バラの花輪だ 手をつなごうよ , ポケットに 花束さして , ハックション! ハックション! みいんな ころぼ。 「バラ」はペストの症状の赤い発疹、「花束」はペストを防ぐための薬草の束、「ハックション」は病気の末期症状、そして最後に「みんな ころぼ」で死んでしまうのです。 Ring-a-Ring-o' Roses - Wikipedia より My mother has killed me お母さんが私を殺して お父さんが私を食べている 兄弟たちはテーブルの下で私の骨を拾い 冷たい大理石の下に埋めたの My mother has killed me, My father is eating me, My brothers and sisters sit under the table, Picking up bury them u

バラッドと歌の起源

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  イギリスはヨーロッパの辺境にあったために、スコットランドやアイルランド、イングランドに古くから民衆の間で継承されてきた物語性の強い伝統歌が残っています。それがバラッドです。  バラッドの語源は ballare ( 踊る ) で、4行で1連で作られ、1、3行目は歌い手がいて2、4行目をダンサー皆でリフレインを歌うものが主流です。   Are you going to Scarborough Fair ?  "Parsley, sage, rosemary and thyme"  Remember me to one who lives there  For once she was a true love of mine  スカーバラの市へ行くのなら  「パセリ、セージ、ローズマリーにタイム」  そこに住むあの人によろしく伝えて下さい  彼女はかつて私の真実の恋人でした というのは、スカボローフェアの一節ですが、 妖精と人間のやりとりで、 魔界の住人である 妖精が、旅人に問いかけ、魔界にさらっていこうとしています。 そのたくらみを見抜いた旅人は、「パセリ、セージ、ローズマリー、タイム」 と 魔よけ効果のある植物(ハーブ)の名を唱えて、うまく逃げおおせたという、考えてみれば不思議な 歌ですよね。             Take the Fair Face of Woman...   ソフィー・アンダーソン 画  バラッドは姿形を変えながら、現代までロックやフォークミュージックの中に続いています。そのあたりは 茂木健さんの著書「バラッドの世界- ブリティッシュ・トラッドの系譜 -」(春秋社)に詳しく書かれています。  15世紀頃までのバラッドは、円を描きながら集団で踊るためのダンス音楽で、中心となる歌い手と踊り手が交互に歌うというコール&レスポンスのスタイルだったそうです。こうしたスタイルのバラッドは現在ではオールド・バラッドと呼ばれています。 その後16世紀になってブロードサイド・バラッドが 生まれたました 。「ブロードサイド」とは、16世紀にイギリス中で発展した 情報誌です 。当時文字の読めない人も多く売

イギリスの三人の物売りの歌 Three Merry Men We Be 

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   シェイクスピアは、人々の間でよく知られていた音楽やその題名を劇の中にとりいれることで、観客を巻き込んだり、当時の人々と言葉とその意味する物の関係を問いのなおしているのです。 チャペルの著書、 popular music of Olden Time 「古い時代の流行曲」に 三人の愉快な男 Three-men song という、当時の民衆が日常的な歌いながら、行商人がバラッドを情報源として売り歩くことが描かれています。  シェイクスピアの冬物語4幕2場に登場しますが、 当時は、 かなり多くのバラッドが人気の旋律にのって、情報源として歌われたようです。      前回からお話している『十二夜』の中では、 、当時の流行歌、キャッチやバラードなどが劇の中で演奏されています。歌の詩は原曲のままあるいはシェイクスピアの台詞での替え歌で奏されるてのですが、 、当時の流行歌などがわかります 。 Daniel Maclise  Malvolio and the Countess   (第1幕3場)サートビーがサ―アンドルーに向かって言います。   Why dost thou not go to church in a galliard and come home in a coranto?    My very walk should be a jig; I would not so much as make water but in a sink-a-pace.    「教会に行く時だって、行きはガイヤルドで跳ねてゆき、帰りはコラントでテンポ・アップ、散歩の歩調はジグ、小便する時なら、シッシシシーの 5 拍子でやればいいじゃないか」   当時宮廷ではやっていた パヴァンとガリアルド   またコラント、ジグ  などの ダンスのことを言っています   また街では行商人が情報源を歌にのせて、 歌います。 Catch (キャッチ)という合唱の初期形態です。 (第1幕3場) Hold the peace, And I prithee, hold the peace, thou knave   黙ってろ、お願いだから、黙ってろ、このならず者め キャッチ Catch :複数の歌い手が、時間を一定にず