エリザベス女王と芸術の黄金期

ブログ都市と芸術7−3

イギリスに絶対王政を広めた王ヘンリ8世(1509~1547年在位)。
男子の世継ぎを渇望、6度の結婚をしたために、離婚を認めないローマ・
カトリック教会から分離、正式にイギリス国教会をつくり、自ら首長に
なりました。宮廷では余興が多いに行なわれるなど、権力をふるいながら
文筆家および作曲家としても自ら活動するなど、とても精力的な王でした。

pastime with companyは王は作曲した曲です。

その後、エドワード6世(プロテスタントでした!)の死後、即位するのはメアリー女王。
スペイン国王フェリペと結婚し、カトリックを復活します。このときモリスダンスなども復活します。
 その一方でプロテスタントを迫害、処刑するなどブラッデイ・メアリと呼ばれる
父ヘンリー8世以来イングランドはローマ教皇を中心とするカトリック世界へ復帰する。
 ヘンリー8世には奥さんがたくさんいたのですが、その一人でエリザベス女王の母でもあるアン・ブーリンは処刑され、エリザベス女王も幼くして幽閉されます。
 その後即位、イングランドとアイルランドの女王になますが、統治時代、スペイン無敵艦隊を破り、貿易を振興するなど、イギリスに黄金時代がまいりました。44年間在位し、イギリス国教会を復活、また演劇など芸術文化を多いに奨励、イギリス文化芸術にも黄金期が来ました。

The "Darnley Portrait" of Elizabeth I of England

ジェイムズ王とマスク演劇
エリザベスの後を継いだジェイムズ王のもとでは、音楽、舞踊、詩、演劇を統合したマスク仮面演劇の作品が作られ演じられるますが、ジェームズ国王が死去した後、これまでの英国文化の黄金時代は突然終焉することに。


ピューリタン革命と劇場封鎖
その理由は、エリザベス1世以降、農村や社会構造の変化から体制が追いつかず、貧富の差が拡大し貧しい農民は離農して都市へ出てくることになりました。ロンドンは急激な人口増加にみまわれ、不満が続出します。ピュリータン革命では、国王チャールズ一世は処刑されてしまいました。
 1642年、ピューリタン革命のもとで議会は劇場を封鎖され、その後、ほとんどの劇場はとり壊れたてしまったのです。王室礼拝堂合唱団は解散させられ、オルガンは破戒されるなどし、その後、イギリスは、ヨーローパの文芸の発展から遅れてゆくことになりました。






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